オオサカジン

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「五月人形」の記事一覧

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西行 桜 春爛漫

2012年04月17日

春爛漫を迎えました。
あちらこちらでソメイヨシノのたよりをききます。

この時期になると西行法師のこの歌を思い出します。

願わくば 花の下にて 春死なむ その如月の 望月の頃

平安時代からこっち、和歌の世界では「花」はイコール桜です。
旧暦の2月15日ならば、今の3月半ば頃でしょうから、
西行のいう桜は彼岸桜か山桜でしょうか。


TV「平家物語」では藤木直人が佐藤静清を演じていますが、
実際、文武両道に優れ、イケ面だったらしいです。

悟りを求めながらも花鳥風月を愛でた歌人で、
桜を詠んだ歌はそれこそ数知れずあるみたいですし、後の芭蕉にも影響を与えた、とはいうものの、
出家の折、自分の娘を縁側から蹴り落として、俗世間から縁を切った、とされており、
この一点で、僕はあまり好きではありません。

ただ、弁護するわけではありませんが、娘の行く末を外からずっと見守り続けた、とはいいます。



さて、いよいよ造幣局の通り抜けが始まりました。
僕はソメイヨシノより八重桜の華麗さが好きですね。
まるでバラのような(バラ科だから当然なのですが)豪華さに目がいってしまいます。

もうちょっと先になると三田永沢寺の芝桜も美しい。

暖かく、空気も清澄でまさに風薫る五月はもうすぐ。
お子さんの初節句も重なり素晴らしい季節を過ごされることを祈り上げます。


  


Posted by 株式会社 人形の天明館  at 22:38Comments(0)五月人形

幻の源氏八領

2012年04月14日

源氏の武者が所用したと伝えられる源氏八領
は一つを残し全て消失しています。

と以前述べました。

源氏はわかるけど 八領 ってなに?

鎧の数え方の単位は 「領」 を使います。
一つの領土にも匹敵するくらい価値がある、ことに由来します。

ちなみに兜は 「頭(とう)」と数えます。

もう一つ、お雛さんのお殿さんや、随身のかぶる「冠」も単位は頭です。

それぞれ名前だけは残っていますが、現存するのは
山梨県塩山市の菅田八幡宮所蔵の「盾無(たてなし)」のみとされています。
武田信玄がお好きな方は甲斐武田氏の 御旗(みはた 孫子の旗 風林火山の文言で有名)と並ぶ家宝といえば御理解頂けるでしょうか。
盾が不要なくらい堅牢であることから名づけられました。

辱めを受けたくなかったのでしょう、武田家滅亡の折、忌まわの際に勝頼が地中に埋めて隠したのを家康が掘り起こさせたと伝えられています。

当代雄山こと鈴木順一朗氏は非常にマニアックな男で、文献を頼りにこの幻の八領を想像し商品化しました。




画像は 「源太が産衣(げんたがうぶぎぬ)」と呼ばれる鎧を想像復元したもの。
源氏の太郎(嫡男)義家が生後まもなく、院に拝謁する際に誂えた、あるいは下賜されたものといわれています。
藤の花が咲き誇る様子を紫の匂いで表現した、らしいです。

ここでいう「匂い(におい)」は鎧の縅糸のグラデーションのことで、
上から濃い色が下にいくに従い淡くなる色使いのことを言います。

逆に淡い色から濃くなっていくものは「裾濃(すそご)」といいます。



  


Posted by 株式会社 人形の天明館  at 23:52Comments(0)五月人形

総角 (あげまき)結び の結び方

刀と太刀

2012年04月11日

長い湾曲した刃物、という点では非常によく似通っています。
あいまいではありますが、刀と太刀には違いがあります。

時代と共に移り変わりがあり、戦の形によって使いやすく発展進化してきたという事情はあるのですが、
古いものが太刀、比較的新しいものが刀(打刀)といえるかもしれません。

身に付けるとき、
刀は刃のついた面を上向きに(上反りに)帯などに挟むように「挿し」ます。
一方、太刀は刃を下向きに、鞘に付いている太刀緒とよばれる紐を腰に結ぶようにして
着装します。太刀は「佩(は)」くと表現します。







例外もあるようですが、刀も太刀も本体の握る部分を茎(なかご)とよびます。
ここには作者の銘が入るのですが、一般に左腰に着装したとき、銘が外側に向くようになっています。

まあ、形〔拵(こしら)え〕の上では、江戸時代の時代劇、例えば大岡越前や水戸黄門などで
大小同じデザインのものを二本身につけているのが刀、
平安時代頃の、丁度平清盛などで使われているのが太刀といえばわかりやすいでしょうか。
ただ、ドラマのなかの清盛は「剣(つるぎ)」を持っていました。
湾曲がなく、真っ直ぐ(直刃)な形状のものをいいます。
江戸時代でも馬に乗るときは上反りにすると鞘が馬の尻に当たってしまう為、
下反りに挿す事もあったようです。天神挿しといいます。

また、江戸時代の大名などで、古い太刀を刀の鞘や束、鍔(つば)に化粧して使用していたこともあったようです。

座頭市などで、白木の、鍔の付いていない鞘も見受けますが、
これは本来「休め鞘」といって、鞘に使われている漆などが刀身に悪影響を及ばさせない為の保管用のものでした。

五月の飾りで、大鎧など比較的クラシックなものには太刀が似合います。
ここに江戸時代のような刀を飾ってしまうと何か変な感じがしてしまいます。

お雛さんのお殿さんが付けているのは太刀ですから、下反りに付けてください。

  


Posted by 株式会社 人形の天明館  at 22:38Comments(0)五月人形

屏風あれこれ

弓と太刀

2012年04月01日





1543年でしたか、種子島に異国の船が漂着し鉄砲が日本に伝わったのは。
それ以前の戦いにおいて、武人の最大の武器は弓矢でした。
太刀を使うのは最後の手段てした。
鎧兜には、一般的に弓と太刀が飾られます。

以前述べたように大鎧は馬上から矢を射るのに都合よく、矢から身を守るのに都合よく作られた防具でした。
弓矢は確かに攻撃的な武器ですが、
武器を持っていることで(使わなくても)侮られない、という一面も持っています。
武力は使わないにこしたことはありません。
誰も進んで死にたくはない。


 という字は(ほこ)をめる、と書きます。
でも丸腰だとやられてしまうだけでしょう。
まるでどこかの国みたいです。

武人は、何も好戦的で野蛮な人たちの代名詞ではありません。
昨年暮まで4年間、司馬遼太郎原作の「坂の上の雲」が初めてドラマ化され放送されました。
はしょりすぎ、あるいは無用の脚色が多く、原作の魅力を余すことなく描写したものとは思えませんでしたが、
海戦後、連合艦隊解散時、東郷司令長官(渡哲也)が読み上げた「告別の辞」のなかに
武人の定義といいますか、心得が述べられています。
起草は秋山真之中佐(本木雅弘が好演)によるものでした。

興味のある方はご一読を。
ちょっとお節句の話からは逸脱してしまいました。  


Posted by 株式会社 人形の天明館  at 00:05Comments(0)五月人形

お馬さん

竹雀の兜

2012年03月28日

以前、僕自身の好きな兜として春日大社所蔵の竹虎雀の大鎧をご紹介しました。

春日大社の宝物殿に行けば、ガラス越しではありますが、すぐ間近に見ることが出来ます。
入館料がいくらだったか定かではありませんが、何百円の範囲だったと思います。
確か、昨年大掛かりな補修、クリーニングが施されたはずです。

源義経が奉納したという話もありますが、
時代的にはもう少し後、南北朝時代頃のものといわれています。
優れているのは金物の精緻さでしょう。
よーーーく目を凝らさないとわからないのですが、
吹き返し(耳の前の大きくぐわーっ、と曲がった部分)の向かって左には菊が、
右には藤がさりげなくあしらわれています。
菊は皇室、藤は藤原氏をあらわしますが、
その筋の方が奉納された、らしいです。

奉納することが目的で、誰も着装したことがない、とされています。
いわば、春日大社の神様のものといえましょう。
国宝に指定されていますし、今は国民みんなのものです。




またまた親バカですが、自分の息子にもこの竹雀の鎧を飾ってやりました。
妻の実家から贈ってもらいました。
どれにするかは僕に任せてもらいました。
もう少し大きくなれば、鹿見物がてら、春日大社に連れて行き、
本物を見せてやろうと思っています。
その時に「お前のんと一緒や」と教えてやるのを今から楽しみにしています。

愛着を持って大切にしてくれるかな。  


Posted by 株式会社 人形の天明館  at 23:26Comments(0)五月人形

おどおし!威し!縅し。

2012年03月26日

まあ鎧のパーツの名称は何かに引っ掛けたり、縁起を担いだり、ちょっと洒落っ気の効いたものが多いと以前述べました。

まっちゃまちの人形店で店員が
「この鎧は〇〇色オドシで・・・・」などと説明していたのを耳にされた方もいらっしゃるかと思います。
店員は専門的な用語を連発しますから、
(それでは初めてご覧になられた方には説明になっていないのですが)、
知らないことは「わかっているフリ」をされる必要はありません。

紐を通して板を綴じ合わせることを「縅(おどし)」と呼んでいます。
これは、
緒(お 紐のこと)を通す  →  緒通し(おどおし)  →  おどし と
相手を威嚇する  「威し」 をかけて、「縅(おどし)」となりました。
紐は糸のものだからでしょうか、一般に 糸偏をつけることが多いようです。

板(正確には「小札板 こざねいた」 この言葉についてはまた後日)の色との組合せで、
画像の鎧でしたら「金小札朱赤糸縅(きんこざねしゅあかいとおどし)」とよぶわけです。



「勝って兜の緒を締めよ」 の格言があります。

兜の緒はそのまんま「締め緒(しめお)」というのですが、
洒落っ気を込めて「忍緒」の字を充てます。
武者にとって耐え難きを忍ぶことは美徳だったのでしょう。
「しのびお」は業界で使われてはいますが、正確ではありません。

「忍緒」に使われる組紐のことを「源氏組紐(げんじくみひも)」といいますが、
これの語源は嘘みたいにいい加減です。

源氏は平家に勝った
   ↓
強いのは源氏
   ↓
この組紐は丈夫で強い 
   ↓
だから源氏組紐

セールストークだったのでしょうか?


  


Posted by 株式会社 人形の天明館  at 22:43Comments(0)五月人形

まだ見たらあかん、あかんて!

屏風のお話

2012年03月24日

Posted by 株式会社 人形の天明館  at 23:12Comments(0)五月人形

オリンピックの一番は?

三段飾り

2012年03月20日





来店されたお客様で、当店の奥の方にある三段飾りをご覧になると
「こんなん初めて見た」
「わっ、デカ!」
という反応を示されます。

ひな人形ではお供え物として三方は脈々と残っていますが、
五月の飾りではだんだん少なくなってきています。

三方飾りが減ってきてはいるものの、端午のお祝いには
菖蒲を活けたり、ちまきや柏餅を食べたりする風習、習慣はまだ健在です。

ここでちまきや柏餅の由来については割愛いたしますが(和菓子屋さんの方が詳しい)、その上の段に飾るのは、太鼓、軍扇、陣笠です。
この三品に共通するのはいずれも「人を動かす、差配する」道具であることです。
誤解を恐れず申し上げますと、
男の子の誕生に際して込められる願いは健全な育成と立身出世の二つでしょう。

意味が忘れられると形骸化し、やがてそのモノ自体も忘れ去られてしまう。
どうぞ面倒がられず、飾ってあげてください。

太鼓だけを脇に飾られる方もいらっしゃいますよ。
過去に、泉州から見えられたお客様で、太鼓の胴部分に初節句を迎える甥御さんのお名前をいれて贈られた方がいらっしゃいました。
曰く「飾りにもなるし、実際バチでたたいて遊ばすねん」。

  


Posted by 株式会社 人形の天明館  at 22:15Comments(0)五月人形

松屋町春の陣

家紋とお節句

2012年03月14日




これは当店で使用している「紋帳(もんちょう)」です。
僕が物心付いた頃から既に店で使っていました。
おそらく半世紀は経っていると思います。

年季入っとんなー!

少し前までは鎧や兜の飾りには当然のように提灯を飾りました。

ない方が「すっきりする」
「なくてもサマになってる」
「予算の関係で省略したい」

ここでもシンプルさを求められる方が多いようです。

店頭の飾りには、「家紋」をいれず白無地のままで展示することが多いのですが、
おうちでお節句の飾りとしては「無紋」は縁起がよろしくないとされています。

「うち、紋なんかないわー」とおっしゃるお客様もたまにいらっしゃいますが、
そんな場合は「五三の桐」が仮に使われることが多いようです。
これは、お節句に限らず、和装関係一般の慣例のようです。
なぜなのでしょう?また調べておきます。

前回掲載した鎧飾りの画像の右下に将棋の駒の形をした立札(まねき といいます)が写っています。
ここにはお子さんのお名前、生年月日を記入します。
当店では筆耕に出して、納品します。



これは無地で納めることも多いですよ。
親御さんやお爺様方が書いてあげる、素敵なことだと思います。

くどいようですが、どなたの厄を替わりに背負っているか、
どなたのものか、を示すもの
といえます。
堂々と所有権を主張しましょう。

ついでですが、一般に誰が作ったものかを示す 作者のまねきとお子さんのまねきの二枚あった場合、
向かって右にお子さんのまねきを、左に作者のまねきを置いてあげてください。
我々は向かって右を上座と捉えます。
古来の天皇さんの並び位置に由来する「左優位」に基づくのでしょう。

話がそれました。
僕なんか頭が古いですから、折角の「跡継ぎ」が誕生したのだから、
どこかに家紋を入れておいてやりたい、と思うのですが。

そこで、こんな商品を提案します。



脇役ですが、ご好評を頂いています。
紋入り、紋なし両方ともオルゴールが付いていて「鯉のぼり」が流れます。


「ボクとこの家紋なにー?」と聞かれて、
「〇〇ーっ!」と即座に答えられるお子さんって、別にかっこよくはないかな?

でも何気ない、節句飾りにあった家紋を子供の頃から何気なく覚えていく、
こんなところから常識は身に付いていくのかも知れません。

将来、家紋の見本が必要になる時、例えば結婚式で和装する時、など
ひょっとしたら役に立つかも知れませんよ。

お問合せ 06-6761-3877 
専務 丹生 (にう)まで。


  


Posted by 株式会社 人形の天明館  at 02:04Comments(0)五月人形

どんなヨロイがいいのかなあ? その4

ごめんなさい、訂正です。具足屋町

2012年03月11日

昨日は記憶だけを頼りにいい加減なことを書いてしまいました。

具足町でなく、具足屋町でした。

ついで、といっては何ですが、地図の現物(写し)もご覧にいれたいと思います。



旧の東区、南区の合併に伴い、住所は 「松屋町住吉」と称していますが、
それ以前のこのあたりは「住吉町」でした。
具足屋町は更に前に消滅しています。その南に位置する「丹波屋町」も
聞いたことがありません。
北の材木町は現存しています。

西にある川は東横堀川で今も残っていますが、長堀は埋め立てられて
今の長堀通りになっています。
その後、東横堀は南へ延び、道頓堀につながります。

末吉橋は辛うじてバスの停留所の名前として残っていて、
数年前までは交差点の名前としても残っていたのですが、現在は
「松屋町」となっています。

長堀を南北に渡す「安綿橋」の面影はありません。
このあたりは上方落語「佐々木裁き」の舞台でした。
主人公の少年は「松屋表町」の住人で、
安綿橋を南に渡ったあたり「住友さんの浜」(大阪では川べりを“はま”とよぶ)よばれた空き地で
遊んでいました。
天下の住友グループは銅山の経営で財を成しましたが、
今でも「住友銅吹所跡」として保全しています。





文化三年彫成 とありますから明治維新より60年ほど前、
そろそろ幕藩体制にほころびが出だしてきたかな、
町人文化が熟成されてきたのかな、という頃でしょうか。

この頃から庶民も喫煙するようになってきた、
と聞いたことがあります。
具足屋町の町名自体もこの頃では過去の遺物だったかも知れません。

その右側に、天明 の年号が記されていますが、当社の社名由来とは
あまり関係ないと昔祖父(当社前会長)から聞きました。

飢饉もあったし、あまりいい時代ではなかったような。

今日は非常にローカルな話になってしまいました。
でも地名はあまり現代の浅知恵でころころ変えるものではないですよね。
往時の人々の歴史を抹消するに等しい。
  


Posted by 株式会社 人形の天明館  at 00:13Comments(0)五月人形

松屋町は具足町


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大阪市中央区松屋町住吉3-3
※ 地下鉄長堀鶴見緑地線「松屋町」駅 ①出口を北へ150m
TEL 06-6761-3877
FAX 06-6768-6632
■営業時間
・平日 10:00 ~18:00
・金、土、日  ~18:30
ですが、お客様のいらっしゃる間が営業時間です。
■休業日
お節句商戦の過ぎた5月の土日だけは休ませて下さい。
その他年末年始を除きほぼ無休です。
皆様のご来店をお待ち申し上げております。
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