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Posted by オオサカジン運営事務局  at 

そもそも節句って・・・。

2012年04月21日

高校の古文の授業の時、先生が黒板に
白馬節会と書き、
「何と読むか」と問いました。

「あおうまのせちえ」と読むのですが、当時はさっぱりわかりませんでした。
正月の七日に馬を引き出してきて宴を催したらしいです。


節句 と僕は表記してきましたが、
当時はお節供で、
季節の節目(二十四節気)毎に自然の豊かな恵みを食し、邪気を祓い、健康を願ったのでしょう。
身近なところでは、お正月にはお料理を食べます。

節句の字を充てるようになったのはお公家さんが節会の際に歌(句)を詠むようになった事に由来するといいます。
五節句が定着し、祭日となったのはたのは江戸時代になってからの話です。

戦後、例えば端午の節句は「子供の日」などともっともらしい呼称になり、目的は包括されてはいるものの
本来の意味は忘れられつつあります。

元々の節気ではありませんが、11月3日は文化勲章の授与される日だから「文化の日」と解釈される方もいますが、
本来は明治天皇のお誕生日「明治節(ご存命の間は天長節)」でした。
ちなみに平成天皇はまだおられません。先でそう呼称される可能性は否定しませんが、現在ご在位中の陛下は「今上(きんじょう)」といいます。

これももっともらしい「勤労感謝の日」は新嘗会(しんじょうえ)です。
宮中祭祀ですが、五穀豊穣を願い、収穫に感謝する農耕民族ならではの儀式だと思います。

なぜ、このような美風を破壊あるいは意味を隠してしまうのでしょう。
戦後の連合国による占領政策による、というより日本人の自虐的なものの見方、あるいは進歩的といわれたマスコミのミスリードによる方が強いと思います。

脱線し過ぎました。

医療、衛生の技術が進歩し、平均寿命も大幅に伸びた現代。
つい100年前までは弱々しい子供のうちに命を落とした人も数多くいたことでしょう。
僕自身その恩恵を享受していることを忘れがちです。
何百年もの間、目に見えぬ病気の原因をととらえ、
因習かも知れないけれど、災厄を祓うことを何かにすがらざるを得なかったのでしょう。
初詣で「健康ですごせますように」と願う気持ちと変わりはないと思いますが、今よりももっと切実だったと思います。


そして、節供も忘れ去られようとしている。
九月九日に菊を浮かべたお酒を飲んだことなんてありますか?

商売柄ゆえの危機感ばかりではなく、四季折々に恩恵を与える自然を神々と捉え、平穏健康を願い感謝してきた、この島国で培われてきた美風は残しておきたい財産ではないでしょうか。

以前にも述べましたが、竹は節目があるからこそ真っ直ぐに強く育ちます。





  


Posted by 株式会社 人形の天明館  at 23:34Comments(0)季節の出来事

そもそも節句って・・・。

2012年04月21日

高校の古文の授業の時、先生が黒板に
白馬節会と書き、
「何と読むか」と問いました。

「あおうまのせちえ」と読むのですが、当時はさっぱりわかりませんでした。
正月の七日に馬を引き出してきて宴を催したらしいです。


節句 と僕は表記してきましたが、
当時はお節供で、
季節の節目(二十四節気)毎に自然の豊かな恵みを食し、邪気を祓い、健康を願ったのでしょう。
身近なところでは、お正月にはお料理を食べます。

節句の字を充てるようになったのはお公家さんが節会の際に歌(句)を詠むようになった事に由来するといいます。
五節句が定着し、祭日となったのはたのは江戸時代になってからの話です。

戦後、例えば端午の節句は「子供の日」などともっともらしい呼称になり、目的は包括されてはいるものの
本来の意味は忘れられつつあります。

元々の節気ではありませんが、11月3日は文化勲章の授与される日だから「文化の日」と解釈される方もいますが、
本来は明治天皇のお誕生日「明治節(ご存命の間は天長節)」でした。
ちなみに平成天皇はまだおられません。先でそう呼称される可能性は否定しませんが、現在ご在位中の陛下は「今上(きんじょう)」といいます。

これももっともらしい「勤労感謝の日」は新嘗会(しんじょうえ)です。
宮中祭祀ですが、五穀豊穣を願い、収穫に感謝する農耕民族ならではの儀式だと思います。

なぜ、このような美風を破壊あるいは意味を隠してしまうのでしょう。
戦後の連合国による占領政策による、というより日本人の自虐的なものの見方、あるいは進歩的といわれたマスコミのミスリードによる方が強いと思います。

脱線し過ぎました。

医療、衛生の技術が進歩し、平均寿命も大幅に伸びた現代。
つい100年前までは弱々しい子供のうちに命を落とした人も数多くいたことでしょう。
僕自身その恩恵を享受していることを忘れがちです。
何百年もの間、目に見えぬ病気の原因をととらえ、
因習かも知れないけれど、災厄を祓うことを何かにすがらざるを得なかったのでしょう。
初詣で「健康ですごせますように」と願う気持ちと変わりはないと思いますが、今よりももっと切実だったと思います。


そして、節供も忘れ去られようとしている。
九月九日に菊を浮かべたお酒を飲んだことなんてありますか?

商売柄ゆえの危機感ばかりではなく、四季折々に恩恵を与える自然を神々と捉え、平穏健康を願い感謝してきた、この島国で培われてきた美風は残しておきたい財産ではないでしょうか。

以前にも述べましたが、竹は節目があるからこそ真っ直ぐに強く育ちます。





  


Posted by 株式会社 人形の天明館  at 23:34Comments(0)季節の出来事

夜桜 造幣局通り抜け

2012年04月19日





今日は造幣局の通り抜けに行ってきました。
八重桜を見に行くのは年に一度の楽しみのひとつです。
ほんとはお昼に行ってみたいのですが。
少し早かったかな、週末ぐらいが見ごろかな、とは思いましたが、やはり美しい。

そんなわけで皆さんにも少しおすそわけ。




  


Posted by 株式会社 人形の天明館  at 00:34Comments(0)季節の出来事

夜桜 造幣局通り抜け

2012年04月19日





今日は造幣局の通り抜けに行ってきました。
八重桜を見に行くのは年に一度の楽しみのひとつです。
ほんとはお昼に行ってみたいのですが。
少し早かったかな、週末ぐらいが見ごろかな、とは思いましたが、やはり美しい。

そんなわけで皆さんにも少しおすそわけ。




  


Posted by 株式会社 人形の天明館  at 00:34Comments(0)季節の出来事

西行 桜 春爛漫

2012年04月17日

春爛漫を迎えました。
あちらこちらでソメイヨシノのたよりをききます。

この時期になると西行法師のこの歌を思い出します。

願わくば 花の下にて 春死なむ その如月の 望月の頃

平安時代からこっち、和歌の世界では「花」はイコール桜です。
旧暦の2月15日ならば、今の3月半ば頃でしょうから、
西行のいう桜は彼岸桜か山桜でしょうか。


TV「平家物語」では藤木直人が佐藤静清を演じていますが、
実際、文武両道に優れ、イケ面だったらしいです。

悟りを求めながらも花鳥風月を愛でた歌人で、
桜を詠んだ歌はそれこそ数知れずあるみたいですし、後の芭蕉にも影響を与えた、とはいうものの、
出家の折、自分の娘を縁側から蹴り落として、俗世間から縁を切った、とされており、
この一点で、僕はあまり好きではありません。

ただ、弁護するわけではありませんが、娘の行く末を外からずっと見守り続けた、とはいいます。



さて、いよいよ造幣局の通り抜けが始まりました。
僕はソメイヨシノより八重桜の華麗さが好きですね。
まるでバラのような(バラ科だから当然なのですが)豪華さに目がいってしまいます。

もうちょっと先になると三田永沢寺の芝桜も美しい。

暖かく、空気も清澄でまさに風薫る五月はもうすぐ。
お子さんの初節句も重なり素晴らしい季節を過ごされることを祈り上げます。


  


Posted by 株式会社 人形の天明館  at 22:38Comments(0)五月人形

幻の源氏八領

2012年04月14日

源氏の武者が所用したと伝えられる源氏八領
は一つを残し全て消失しています。

と以前述べました。

源氏はわかるけど 八領 ってなに?

鎧の数え方の単位は 「領」 を使います。
一つの領土にも匹敵するくらい価値がある、ことに由来します。

ちなみに兜は 「頭(とう)」と数えます。

もう一つ、お雛さんのお殿さんや、随身のかぶる「冠」も単位は頭です。

それぞれ名前だけは残っていますが、現存するのは
山梨県塩山市の菅田八幡宮所蔵の「盾無(たてなし)」のみとされています。
武田信玄がお好きな方は甲斐武田氏の 御旗(みはた 孫子の旗 風林火山の文言で有名)と並ぶ家宝といえば御理解頂けるでしょうか。
盾が不要なくらい堅牢であることから名づけられました。

辱めを受けたくなかったのでしょう、武田家滅亡の折、忌まわの際に勝頼が地中に埋めて隠したのを家康が掘り起こさせたと伝えられています。

当代雄山こと鈴木順一朗氏は非常にマニアックな男で、文献を頼りにこの幻の八領を想像し商品化しました。




画像は 「源太が産衣(げんたがうぶぎぬ)」と呼ばれる鎧を想像復元したもの。
源氏の太郎(嫡男)義家が生後まもなく、院に拝謁する際に誂えた、あるいは下賜されたものといわれています。
藤の花が咲き誇る様子を紫の匂いで表現した、らしいです。

ここでいう「匂い(におい)」は鎧の縅糸のグラデーションのことで、
上から濃い色が下にいくに従い淡くなる色使いのことを言います。

逆に淡い色から濃くなっていくものは「裾濃(すそご)」といいます。



  


Posted by 株式会社 人形の天明館  at 23:52Comments(0)五月人形

総角 (あげまき)結び の結び方

2012年04月13日





兜の忍緒(しめお)にはよく子の結び方が施されています。
時代劇で大奥などが舞台だと、ふすまの取っ手などにも使われているのをご覧になった方もいらっしゃるでしょう。

この結び方を教えてほしい、というご要望が結構あります。
苦手な動画撮影ですが、ここにアップしたいと思います。

  


Posted by 株式会社 人形の天明館  at 18:28Comments(2)五月人形

刀と太刀

2012年04月11日

長い湾曲した刃物、という点では非常によく似通っています。
あいまいではありますが、刀と太刀には違いがあります。

時代と共に移り変わりがあり、戦の形によって使いやすく発展進化してきたという事情はあるのですが、
古いものが太刀、比較的新しいものが刀(打刀)といえるかもしれません。

身に付けるとき、
刀は刃のついた面を上向きに(上反りに)帯などに挟むように「挿し」ます。
一方、太刀は刃を下向きに、鞘に付いている太刀緒とよばれる紐を腰に結ぶようにして
着装します。太刀は「佩(は)」くと表現します。







例外もあるようですが、刀も太刀も本体の握る部分を茎(なかご)とよびます。
ここには作者の銘が入るのですが、一般に左腰に着装したとき、銘が外側に向くようになっています。

まあ、形〔拵(こしら)え〕の上では、江戸時代の時代劇、例えば大岡越前や水戸黄門などで
大小同じデザインのものを二本身につけているのが刀、
平安時代頃の、丁度平清盛などで使われているのが太刀といえばわかりやすいでしょうか。
ただ、ドラマのなかの清盛は「剣(つるぎ)」を持っていました。
湾曲がなく、真っ直ぐ(直刃)な形状のものをいいます。
江戸時代でも馬に乗るときは上反りにすると鞘が馬の尻に当たってしまう為、
下反りに挿す事もあったようです。天神挿しといいます。

また、江戸時代の大名などで、古い太刀を刀の鞘や束、鍔(つば)に化粧して使用していたこともあったようです。

座頭市などで、白木の、鍔の付いていない鞘も見受けますが、
これは本来「休め鞘」といって、鞘に使われている漆などが刀身に悪影響を及ばさせない為の保管用のものでした。

五月の飾りで、大鎧など比較的クラシックなものには太刀が似合います。
ここに江戸時代のような刀を飾ってしまうと何か変な感じがしてしまいます。

お雛さんのお殿さんが付けているのは太刀ですから、下反りに付けてください。

  


Posted by 株式会社 人形の天明館  at 22:38Comments(0)五月人形

直江の兜

2012年04月10日

信州を鉄道で旅行して、北上し日本海に突き当たれば直江津です。
関西方面からでは、北陸線の終着駅になります。
日本海側の交通の要衝といえましょう。
直江氏は上杉家配下の部将ですが、このあたりを治めていたのでしょう。



漫画、ゲームの影響もあり直江兼続の名は最近かなり知られるようになりました。
愛の字の前立はあまりにも有名になりましたが、その具足に凝らされた工夫はあまり知られていません。
錣(しころ)とよばれる後頭部から首、肩にかけてを防御する部分が二重になっています。
これは首の衿部分から背中に雪が入らないようにと雪よけの役割を果たします。
また草摺り(腰から太ももにかけてを防御)や袖には熊の毛皮のファーのようなものがついています。
寒さよけでしょうか。  


Posted by 株式会社 人形の天明館  at 22:49Comments(0)

2012年04月08日

五月人形や、おひな様を飾るとき、
たいていの方は「飾り台」をお求めになられます。
僕なんか毛氈(もうせん)のうえに飾るのも好きですけどね。
男の子の毛氈の緑の色は薬草の色といいますし、
お雛さんの緋(赤い)毛氈は、大切なお嬢ちゃんに要らぬ虫のつかないように、と虫除けの意味もあるといいます。

それでもやっぱり台がある方が立派に見えます。
それはそのとおり。

おうちで男の子と女の子の両方いらっしゃる場合、
こんな台であれば、兼用でお使い頂けます。

少し高さ(約15cm)のある台



桐素材の表面に焼き色を付けた物 いわゆる焼桐


黒塗りで畳表を貼ったもの



全面黒塗り




おひな様、五月人形どちらも飾る期間は約1ヶ月。
1年のうち10月以上はどこかに片付けておかなくてはなりません。
それならば、屏風だけ替えて、使いまわせば台は一つで済みます。

  


Posted by 株式会社 人形の天明館  at 23:15Comments(0)五月人形

2012年04月07日

張子の虎は案外皆様ご存知です。
またがって遊んだ、とか怖かった、という思い出をお持ちの方もいらっしゃるでしょう。

恐い顔ゆえにお節句の魔除けとして飾られます。

張子の虎は全国あちらこちらで作られている郷土玩具のひとつです。
大阪、京都、岡山、讃岐、九州・・・、思いつくだけでも数箇所。

どの虎を見ても思うのは
「これ、ほんまに虎なん?、猫みたいやん」







現代では数百円も払えば本物の虎を見ることが出来ますし、
図鑑や、ネットででも虎の画像はそれこそ「なんぼでも」、「簡単に」見ることが出来ますが、
虎がどんな形で、どんな色で、どんな模様で、どんな生態で、、、
という情報伝聞しかなかったからでしょう。

安土桃山時代ころの狩野派の唐獅子の絵なんか、ライオンというより豹ですよね。

最近になってデザインを起こしたのでしょう、某在阪セ・リーグの球団の旗みたいなこんな虎も。




本物の虎の耳たぶの裏側には黒い丸があります(ホントです)。
そこまで忠実に再現されているかどうかは、ご来店の上、ご確認ください。


  


Posted by 株式会社 人形の天明館  at 00:18Comments(0)五月人形

武者絵幟(むしゃえのぼり)

2012年04月04日

そんなん知らんわー、という方もいらっしゃるでしょうか。
確かに関西ではあまりなじみがありません。

もう二十数年も前になりますが、お節句の販売が終わった五月の中頃、
天竜川沿いに郡上のあたりを通って信州方面にドライブしたことがあるのですが、
それはもう、見事に武者絵幟が林立していました。
九州でも盛んです。
「鯉のぼり」と表記されますが、実は「鯉幟」なんですよ。

関西、大阪でも、鯉のぼりは掲げられない(鯉は横に拡がる為、必要な直径を確保できない)が、
省スペースでも大きな「何か」を飾ってあげたい、と選ばれる方が少なからずいらっしゃいます。

代表的な絵柄はやはり土地柄、「太閤秀吉と加藤清正を始めとする子飼いの武将」でしょう。
千成瓢箪が目印。



「宇治川の先陣争い」も捨てがたい。
源氏の義経、範頼軍が木曽義仲軍を京から追い払う、源氏同士の戦いなのですが、
東海道から西へ攻め上り、まさに京への入り口、宇治川を渡河しようとするところ。
描かれているのは主に梶原景季と佐々木高綱の二人。
高綱が景季に馬の鞍の帯が緩んでが外れかけてるぞ、と嘘を吐き、景季が確かめている間に
一番乗りを果たしたという話。
高校の古文の授業では、この話の何がおもしろいのかわかりませんでしたが、
まあ、現代に例えると、

「お前、ズボンのチャック開いてるぞ」
「えっ、うそお!」

といっている間に先にゴールした、ようなものです。

高綱の人間性ってどうなんでしょう?


  


Posted by 株式会社 人形の天明館  at 23:57Comments(0)鯉のぼり

屏風あれこれ

2012年04月02日

屏風の種類をいくつかご紹介します。

一般的な金屏風。
「ありきたり」
「パパのんこれやから息子には違うのを・・・」
というお声も頂戴しますが、シンプルで飽きの来ない極めてベーシックなアイテム。
安価な金紙を貼ったものもありますが、
この屏風は金箔を人の手で貼り合わせた上等の金紙を使用しています。
四角の金箔ですが微妙なズレ、しわ等が見受けられ手仕事ゆえの味わいがあります。
工業製品みたいな「ビシッ」とした精密さを求められる方にはオススメしません。




これは雲砂子。光の当たりかたで雲の照り方も違って見えます。僕なんか好きですねえ。




黒塗りの家紋屏風。お客様からのご注文を受けてから誂えます。
渋く飾りたい方にはいいかも。




同じ家紋入りでも比較的安価に出来ます。明るいのがいいですね。




蒔絵の入った塗りの屏風。 唐獅子は文殊菩薩のお使い。


  


Posted by 株式会社 人形の天明館  at 23:36Comments(0)五月人形

弓と太刀

2012年04月01日





1543年でしたか、種子島に異国の船が漂着し鉄砲が日本に伝わったのは。
それ以前の戦いにおいて、武人の最大の武器は弓矢でした。
太刀を使うのは最後の手段てした。
鎧兜には、一般的に弓と太刀が飾られます。

以前述べたように大鎧は馬上から矢を射るのに都合よく、矢から身を守るのに都合よく作られた防具でした。
弓矢は確かに攻撃的な武器ですが、
武器を持っていることで(使わなくても)侮られない、という一面も持っています。
武力は使わないにこしたことはありません。
誰も進んで死にたくはない。


 という字は(ほこ)をめる、と書きます。
でも丸腰だとやられてしまうだけでしょう。
まるでどこかの国みたいです。

武人は、何も好戦的で野蛮な人たちの代名詞ではありません。
昨年暮まで4年間、司馬遼太郎原作の「坂の上の雲」が初めてドラマ化され放送されました。
はしょりすぎ、あるいは無用の脚色が多く、原作の魅力を余すことなく描写したものとは思えませんでしたが、
海戦後、連合艦隊解散時、東郷司令長官(渡哲也)が読み上げた「告別の辞」のなかに
武人の定義といいますか、心得が述べられています。
起草は秋山真之中佐(本木雅弘が好演)によるものでした。

興味のある方はご一読を。
ちょっとお節句の話からは逸脱してしまいました。  


Posted by 株式会社 人形の天明館  at 00:05Comments(0)五月人形

お馬さん

2012年03月30日





鎧兜(主になる飾り)は本家のじいさん、ばあさんが買わはるやろし、わしらは何を贈ったげよ?
と思われているおじさん、おばさん方もいらっしゃるのでは?

馬なんかいかがです?

その昔、馬を所有する事は、現代に例えると自家用ジェット機を持つこと(持てること)くらいのステータスだったといいます。

山内一豊がお内儀のへそくりで馬を購った話。
豊臣秀吉がまだ木下藤吉郎だった頃、鼻高々で故郷中村にキンキラキンに飾り立てた馬に乗って帰ったという話。
馬を手にした喜びを表す逸話は枚挙に暇がありません。

また「はなむけ」という言葉がこの季節になるとよく使われますが、

の字を充てます。
そう、餞別 の餞 ですが、
旅立ちに際し、馬のを行く先に向けてやるのが、語源らしいです。

未来が真っ白な甥御さんに人生の方向を示してあげる、素敵な贈り物になるのでは。




  


Posted by 株式会社 人形の天明館  at 00:09Comments(0)五月人形

竹雀の兜

2012年03月28日

以前、僕自身の好きな兜として春日大社所蔵の竹虎雀の大鎧をご紹介しました。

春日大社の宝物殿に行けば、ガラス越しではありますが、すぐ間近に見ることが出来ます。
入館料がいくらだったか定かではありませんが、何百円の範囲だったと思います。
確か、昨年大掛かりな補修、クリーニングが施されたはずです。

源義経が奉納したという話もありますが、
時代的にはもう少し後、南北朝時代頃のものといわれています。
優れているのは金物の精緻さでしょう。
よーーーく目を凝らさないとわからないのですが、
吹き返し(耳の前の大きくぐわーっ、と曲がった部分)の向かって左には菊が、
右には藤がさりげなくあしらわれています。
菊は皇室、藤は藤原氏をあらわしますが、
その筋の方が奉納された、らしいです。

奉納することが目的で、誰も着装したことがない、とされています。
いわば、春日大社の神様のものといえましょう。
国宝に指定されていますし、今は国民みんなのものです。




またまた親バカですが、自分の息子にもこの竹雀の鎧を飾ってやりました。
妻の実家から贈ってもらいました。
どれにするかは僕に任せてもらいました。
もう少し大きくなれば、鹿見物がてら、春日大社に連れて行き、
本物を見せてやろうと思っています。
その時に「お前のんと一緒や」と教えてやるのを今から楽しみにしています。

愛着を持って大切にしてくれるかな。  


Posted by 株式会社 人形の天明館  at 23:26Comments(0)五月人形

おどおし!威し!縅し。

2012年03月26日

まあ鎧のパーツの名称は何かに引っ掛けたり、縁起を担いだり、ちょっと洒落っ気の効いたものが多いと以前述べました。

まっちゃまちの人形店で店員が
「この鎧は〇〇色オドシで・・・・」などと説明していたのを耳にされた方もいらっしゃるかと思います。
店員は専門的な用語を連発しますから、
(それでは初めてご覧になられた方には説明になっていないのですが)、
知らないことは「わかっているフリ」をされる必要はありません。

紐を通して板を綴じ合わせることを「縅(おどし)」と呼んでいます。
これは、
緒(お 紐のこと)を通す  →  緒通し(おどおし)  →  おどし と
相手を威嚇する  「威し」 をかけて、「縅(おどし)」となりました。
紐は糸のものだからでしょうか、一般に 糸偏をつけることが多いようです。

板(正確には「小札板 こざねいた」 この言葉についてはまた後日)の色との組合せで、
画像の鎧でしたら「金小札朱赤糸縅(きんこざねしゅあかいとおどし)」とよぶわけです。



「勝って兜の緒を締めよ」 の格言があります。

兜の緒はそのまんま「締め緒(しめお)」というのですが、
洒落っ気を込めて「忍緒」の字を充てます。
武者にとって耐え難きを忍ぶことは美徳だったのでしょう。
「しのびお」は業界で使われてはいますが、正確ではありません。

「忍緒」に使われる組紐のことを「源氏組紐(げんじくみひも)」といいますが、
これの語源は嘘みたいにいい加減です。

源氏は平家に勝った
   ↓
強いのは源氏
   ↓
この組紐は丈夫で強い 
   ↓
だから源氏組紐

セールストークだったのでしょうか?


  


Posted by 株式会社 人形の天明館  at 22:43Comments(0)五月人形

まだ見たらあかん、あかんて!

2012年03月25日

youtubeに「鎧の飾り方」の動画をアップしてみました。

まだ動画の加工もなにもせず、試験的にアップしています。
お客様にお見せできるシロモノではありません。
それでも、どうしても見てみたい方は、、、、仕方ないですね、どうぞ。

  


Posted by 株式会社 人形の天明館  at 22:25Comments(0)五月人形

屏風のお話

2012年03月24日

おひなさん、鎧や兜、お節句のお飾りの後ろにはたいてい屏風を飾ります。

皆さんは屏風の前に座った、あるいは立たれたことって何回あるでしょう?
数えるほどしかないはずです。しかもそれは「ハレ」の姿。

さてまた2枚の画像をご覧頂きます。
大きな違いがあります。








実はどちらも京都の「北村松月堂」さんの遠山柄の砂子の屏風です。
白茶っぽい鳥の子紙に箔の小さいかけらを振りまいて柄にするという非常に手間のかかる高級屏風です。

寸法以外にどこが違うのか?

まるでピノキオのようなおひなさんが飾られていますが、こちらには朱色の「縁(へり)」があるのに対し、
鎧飾りの屏風には縁がありません。

おひなさんのはお公家さんを象っています。故に雅に屏風にも装飾が入ります。

鎧兜はいわば武家のものです。質実剛健といいますか、要らぬ装飾は排してシンプルなものが望ましいといいます。

先述の北村松月堂 店主 北村法久師曰く
「公家はへり付き、武家はへり無し」

これだけで全体の表情はコロッと変ります。
お飾りの脇役かもしれませんが、屏風って大事なんですよ。

  


Posted by 株式会社 人形の天明館  at 23:12Comments(0)五月人形

どうやって取り付けよ・・・。

2012年03月22日

いざ松屋町に鯉のぼりを買いに来ました。
いろんな鯉のぼりが並んでいます。

セットでいいのを見つけた!
安かった!
持って帰ったけど、ウチのベランダには付いていた金具では取り付けられない!!
どうしよう?

そんな方が相談にみえられました。
当店では鯉のぼりの柄、素材、機能をご説明したうえで鯉を選んで頂きます。
それだけではなく、おウチのベランダの形態や、どんなところに立てたいと思っておられるのかをお聞きし、最適な金具、あるいはポールに至るまでご提案し、お買い求め頂いております。

ベランダでの取り付け金具は代表的なものだけでも以下の通り。


鉄格子のあるベランダならこれでOKです。一番安くつきます。
但し角度は変えられません。


最近の集合住宅では「塀」になっているところが多いのではないでしょうか。
塀に挟み込むタイプ。
しっかり締め付けておかないと横揺れには弱そう。
角度は変えられません。




角度を可変できるこんなタイプも。








この二つならどこにでも置けます。
画像では水をいれて重しにするタンクが写っていますが、
ご家庭ではコンクリートブロック、そうホームセンターなんかで200円くらいで売ってるやつ、
を代用されてもいいでしょう。
重しの目安は約20kg。

天明館では設置環境に合わせ、必要なものだけお買い求め頂くことができます。
いらない金具まで買う必要はありません。


また矢車は消耗品とお考え下さい。よくもって5年くらいでしょうか。
単品での販売も致します。

お問合せは

TEL06-6761-3877 専務 丹生(にう)まで。

  


Posted by 株式会社 人形の天明館  at 22:26Comments(0)鯉のぼり

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株式会社 人形の天明館
株式会社 人形の天明館
540-0017
大阪市中央区松屋町住吉3-3
※ 地下鉄長堀鶴見緑地線「松屋町」駅 ①出口を北へ150m
TEL 06-6761-3877
FAX 06-6768-6632
■営業時間
・平日 10:00 ~18:00
・金、土、日  ~18:30
ですが、お客様のいらっしゃる間が営業時間です。
■休業日
お節句商戦の過ぎた5月の土日だけは休ませて下さい。
その他年末年始を除きほぼ無休です。
皆様のご来店をお待ち申し上げております。
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