オオサカジン

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Posted by オオサカジン運営事務局  at 

オリンピックの一番は?

2012年03月21日

3枚の画像を並べました。










さて、あなたはどの色がお好き?

昔から多いのは上のような金色の兜

もう15年は経ちますか、ブロンズ色といわれている兜

こんな「白銀」とよびたくなるような色まで。

店頭ではブロンズ色や銀色のものはお客様の目を引くようです。
「渋くていい」と評価頂いています。
でもおウチでスポットライトをあててご覧になることはないでしょうし、
「モッサリしてしまわないかな」と思うのは杞憂でしょうか。

オリンピックでも 金、銀、銅ですしね。
ありきたりのようでも金色の兜がいいことないかな、というのは僕の考え。

  


Posted by 株式会社 人形の天明館  at 22:06Comments(0)五月人形

三段飾り

2012年03月20日





来店されたお客様で、当店の奥の方にある三段飾りをご覧になると
「こんなん初めて見た」
「わっ、デカ!」
という反応を示されます。

ひな人形ではお供え物として三方は脈々と残っていますが、
五月の飾りではだんだん少なくなってきています。

三方飾りが減ってきてはいるものの、端午のお祝いには
菖蒲を活けたり、ちまきや柏餅を食べたりする風習、習慣はまだ健在です。

ここでちまきや柏餅の由来については割愛いたしますが(和菓子屋さんの方が詳しい)、その上の段に飾るのは、太鼓、軍扇、陣笠です。
この三品に共通するのはいずれも「人を動かす、差配する」道具であることです。
誤解を恐れず申し上げますと、
男の子の誕生に際して込められる願いは健全な育成と立身出世の二つでしょう。

意味が忘れられると形骸化し、やがてそのモノ自体も忘れ去られてしまう。
どうぞ面倒がられず、飾ってあげてください。

太鼓だけを脇に飾られる方もいらっしゃいますよ。
過去に、泉州から見えられたお客様で、太鼓の胴部分に初節句を迎える甥御さんのお名前をいれて贈られた方がいらっしゃいました。
曰く「飾りにもなるし、実際バチでたたいて遊ばすねん」。

  


Posted by 株式会社 人形の天明館  at 22:15Comments(0)五月人形

鯉のぼりも変ったねえ。

2012年03月20日

全国各地で鯉のぼりは生産されています。

北関東のいわゆる「坂東鯉」
愛知県でも盛んですし、四国の瀬戸内沿岸、岡山県でも。
忘れてはならないのが兵庫県の東条町、今の加東市です。
大阪松屋町の僕たちからすれば、地場の品物という親しみがあります。
どの地域でももともとは農家の冬の副業から始まったようです。

生産量は非常に少ないのですが、大阪堺市の木綿の鯉を作っているところも有名ですね。

一昔前までは鯉の素材はナイロンが主流でした。
安価で軽くよく泳ぐ。
その反面紫外線による繊維の劣化(日焼け、黄変、硬化)が早いというマイナス面もあります。
雨に濡れたからと、濡れたまま取り入れてそれこそ団子のように丸めたまま放置すると、色落ち、色移りもよく見られました。
飾った状態で濡れてしまったら、いっその事、そのまま掲げておいて、晴れて乾くのを待つ方が得策かも知れません。

二十数年前から、ポリエステル製のものが普及しだしました。
ナイロンの弱点をほぼ解消し、色落ちも殆どありません。
繊維自体が柔らかく、風合いも高級感があります。

ツヤのあるサテン織やさらにはちりめん風のジャガード織のものもあります。
ちりめん風で地模様のあるものまで出てきています。
鯉のぼりはだんだん高級感を増してきました。

うろこの金も昔は真鍮粉の刷り込みで、数年すると茶色に変色しましたが、
最近では蒸着加工(ラミネート加工 歯磨き粉のチューブなどに使われている技法)されており、
変色もすくなく、輝きも豪華です。
但し、ドライクリーニングに出すと、きれいに金がなくなってしまいます。ご注意を。

更に汚れにくくする為撥水加工が施されているものも増えています。
勘違いされる方も多いのですが、撥水加工だから、と出しっぱなしにはなさらないで。
前回も述べましたが、所詮外に飾るものです。
繊維の劣化を完全に防ぐと保証するものではありません。
数年間飾る間、できるだけきれいな状態を保つ為、
シミ汚れを少しでも防ぐための処置、とお考え頂いた方がよいでしょう。

お片づけの際、ホコリは払う必要がありますが、むしろ洗濯されない方がいでしょう。
基本的に薬品を繊維に含浸させているわけですから、
洗濯することで効果が薄れてしまいます。

一番安くつくのは撥水加工されていない鯉に、数年に一度防水スプレーを
散布することかも知れません。

洗濯での注意点をもう一つ。
どの鯉のぼりでも洗濯機はご使用にならないで。
ねじれによる傷み、口輪の変形の恐れがあります。

「あんなことしてる、こんなこともしてる」商品はやはり高価になってきます。
機能面では今述べたことをご参考にして頂ければ幸いです。

デザインについては、これはもうお客様が気に入られたのが一番!
  


Posted by 株式会社 人形の天明館  at 00:59Comments(0)鯉のぼり

松屋町春の陣

2012年03月17日

いよいよ明日 3月18日 日曜日
松屋町春の陣 ~歩く五月人形~が開催されます。





今年は総勢五十数名の甲冑に身を包んだ武者たちが集結し、松屋町筋を練り歩きます。
気分はさながら600年前にタイムスリップ!!
ヨロイをお持ちの方は大人でも子供でも飛び入りでご参加いただけます。

お持ちでない方でも松屋町に来れば売ってます!!





そこで当店では松屋町春の陣協賛セールとしまして
この着用兜セットを明日1日限り78800円で販売いたします。

カブトをもって松屋町に集合!!  


Posted by 株式会社 人形の天明館  at 10:49Comments(0)五月人形

鯉のぼり 少し愛して、長ーく愛して。

2012年03月16日

鯉のぼりのお手入れの仕方、というより
いかにきれいな状態で長持ちさせるか、を考えたいと思います。

鯉のぼりは毎日飾らないで下さい。
お子さんの初節句を迎えて、気合を入れて毎日出したり、片付けたり、
結構大変な作業ですよ。
お叱りを受けそうですが、作業に疲れてしまって、
お子さんが物心付いて「鯉のぼり、鯉のぼりだしてー!」とせがむようになった頃、
「えーーっ?めんどくさーー!」となってしまわないように。

季節になると、朝も夜も、あるいは雨の中でも出しっ放しの鯉のぼりを見かけることがあります。

寒暖の差で露が付くこともありますし、どの繊維でもぬれっぱなしでは劣化が早くなります。

おうちを留守にされる時も片付けておいた方がいいでしょう。
結わえた紐が緩んで飛んでいってしまうかも。

むしろ、「今日は天気もいいし、みんなウチにいてるし、鯉のぼり飾ろうか」
ぐらいの方が気が楽です。

お子さんの節目、お節句の考え方からすれば、最低七歳のお節句までは飾ってあげてほしいもの。
七五三の節目、歌でも この子の七つのお祝いに・・・。とあるように、
七歳を無事通過できれば後は何とか健康に育ってゆくだろう、という考え方に基づきます。
余談ですが、竹は中身が空洞でも節があるからこそ強く真っ直ぐに育ちます。
故に、五月人形での屏風などに柄として使われています。

その時に、鯉が薄汚れて、くたびれてしまっていてはボクがかわいそうです。
多少の劣化があるのは仕方ありませんが、少しでもきれいな状態の鯉のぼりを掲げてあげて欲しいと思います。



素材、加工技術、その他注意点は次回に触れたいと思います。




  


Posted by 株式会社 人形の天明館  at 00:03Comments(0)鯉のぼり

鯉のぼりの楽しみ方

2012年03月14日

実は僕自身は写真を撮るのが(撮られるのも)苦手で、自分の記念写真、スナップの類はあまり多くありません。
そのくせ、娘や息子の写真、データは整理し切れていないくらいたくさんあります。

皆さんのご家庭でもそんなことはありませんか?
子供の折々の姿は映像に残しておきたいものです。

そこで、端午の節句を迎えるにあたり、こんな構図はいかがでしょう。




親バカ全開ですが、モデルはウチの息子です。
彼の承諾を得ていない為、目は伏せさせて頂いております。

まだ新品の状態であれば、そんなに気持ち悪くもないでしょう。

次回は鯉のぼりのメンテナンス等について触れたいと思います。
少し短くなりましたが今日はこのへんで。  


Posted by 株式会社 人形の天明館  at 23:34Comments(0)鯉のぼり

家紋とお節句

2012年03月14日




これは当店で使用している「紋帳(もんちょう)」です。
僕が物心付いた頃から既に店で使っていました。
おそらく半世紀は経っていると思います。

年季入っとんなー!

少し前までは鎧や兜の飾りには当然のように提灯を飾りました。

ない方が「すっきりする」
「なくてもサマになってる」
「予算の関係で省略したい」

ここでもシンプルさを求められる方が多いようです。

店頭の飾りには、「家紋」をいれず白無地のままで展示することが多いのですが、
おうちでお節句の飾りとしては「無紋」は縁起がよろしくないとされています。

「うち、紋なんかないわー」とおっしゃるお客様もたまにいらっしゃいますが、
そんな場合は「五三の桐」が仮に使われることが多いようです。
これは、お節句に限らず、和装関係一般の慣例のようです。
なぜなのでしょう?また調べておきます。

前回掲載した鎧飾りの画像の右下に将棋の駒の形をした立札(まねき といいます)が写っています。
ここにはお子さんのお名前、生年月日を記入します。
当店では筆耕に出して、納品します。



これは無地で納めることも多いですよ。
親御さんやお爺様方が書いてあげる、素敵なことだと思います。

くどいようですが、どなたの厄を替わりに背負っているか、
どなたのものか、を示すもの
といえます。
堂々と所有権を主張しましょう。

ついでですが、一般に誰が作ったものかを示す 作者のまねきとお子さんのまねきの二枚あった場合、
向かって右にお子さんのまねきを、左に作者のまねきを置いてあげてください。
我々は向かって右を上座と捉えます。
古来の天皇さんの並び位置に由来する「左優位」に基づくのでしょう。

話がそれました。
僕なんか頭が古いですから、折角の「跡継ぎ」が誕生したのだから、
どこかに家紋を入れておいてやりたい、と思うのですが。

そこで、こんな商品を提案します。



脇役ですが、ご好評を頂いています。
紋入り、紋なし両方ともオルゴールが付いていて「鯉のぼり」が流れます。


「ボクとこの家紋なにー?」と聞かれて、
「〇〇ーっ!」と即座に答えられるお子さんって、別にかっこよくはないかな?

でも何気ない、節句飾りにあった家紋を子供の頃から何気なく覚えていく、
こんなところから常識は身に付いていくのかも知れません。

将来、家紋の見本が必要になる時、例えば結婚式で和装する時、など
ひょっとしたら役に立つかも知れませんよ。

お問合せ 06-6761-3877 
専務 丹生 (にう)まで。


  


Posted by 株式会社 人形の天明館  at 02:04Comments(0)五月人形

どんなヨロイがいいのかなあ? その4

2012年03月13日

下の画像をご覧下さい。



ヨロイと聞くと
「飾るの難しそう」
「片付けるの大変そう」
とお思いの方も多いでしょう。

この鎧を飾る台の幅(間口)は60cm、奥行きは40cm。
実は兜を飾ることを目的とした寸法の台なのです。

大きいですか?

鎧飾り(兜飾り)は実は非常に効率よく出来ていて、
鍬形は兜から取り外し、大半が下の黒い箱(唐櫃 からびつといいます)の中に
収まります。

片付けたときは
鎧の入った唐櫃を入れるダンボール箱、
弓と太刀も一つの箱に、
台の箱、
屏風の箱、主にこの4つのはこに片付きます。



案外コンパクトなものですよ。  


Posted by 株式会社 人形の天明館  at 01:40Comments(0)五月人形

がんばろう日本!

2012年03月11日

一年前の今日、わが国は戦後最大といわれる自然災害に直面しました。
更に原発の被害も加わり、復興どころか、復旧すらままならないところも。

そんな最中でさえ、我が同胞は冷静に行動し、その粛然とした姿が海外でも賞賛されたのは
皆さんもよくご存知のところです。
但し、その国民性にあまえた政治の無作為は批判されてしかるべきです。

僕たちには何が出来るのか。

この業界の、特に鯉のぼりのメーカーさんによる「日本鯉のぼり協会」が
こんな吹流を企画し販売店に協力を呼びかけており、ここでご紹介したいと思います。



昨年来、やたら「絆」や「がんばろう」という言葉を見たり聞いたりします。
もちろん大切なことばであり、批判しているのではありませんが、
「使っている」ことで「何かをした」という自己満足に陥ってしまうことは避けたいものです。
レトリックが一人歩きするとろくなことがありません。

災害地に入ってボランティア活動をしたことで自分の仕事は果たしたと勘違いしている政治家のように。
彼らの仕事は他にあるはずです。

尚、この吹流しの売上額の10%を義捐金として使わせて頂くことになっています。

お問合せ 06-6761-3877 
専務 丹生 (にう)まで。


  


Posted by 株式会社 人形の天明館  at 23:15Comments(0)鯉のぼり

ごめんなさい、訂正です。具足屋町

2012年03月11日

昨日は記憶だけを頼りにいい加減なことを書いてしまいました。

具足町でなく、具足屋町でした。

ついで、といっては何ですが、地図の現物(写し)もご覧にいれたいと思います。



旧の東区、南区の合併に伴い、住所は 「松屋町住吉」と称していますが、
それ以前のこのあたりは「住吉町」でした。
具足屋町は更に前に消滅しています。その南に位置する「丹波屋町」も
聞いたことがありません。
北の材木町は現存しています。

西にある川は東横堀川で今も残っていますが、長堀は埋め立てられて
今の長堀通りになっています。
その後、東横堀は南へ延び、道頓堀につながります。

末吉橋は辛うじてバスの停留所の名前として残っていて、
数年前までは交差点の名前としても残っていたのですが、現在は
「松屋町」となっています。

長堀を南北に渡す「安綿橋」の面影はありません。
このあたりは上方落語「佐々木裁き」の舞台でした。
主人公の少年は「松屋表町」の住人で、
安綿橋を南に渡ったあたり「住友さんの浜」(大阪では川べりを“はま”とよぶ)よばれた空き地で
遊んでいました。
天下の住友グループは銅山の経営で財を成しましたが、
今でも「住友銅吹所跡」として保全しています。





文化三年彫成 とありますから明治維新より60年ほど前、
そろそろ幕藩体制にほころびが出だしてきたかな、
町人文化が熟成されてきたのかな、という頃でしょうか。

この頃から庶民も喫煙するようになってきた、
と聞いたことがあります。
具足屋町の町名自体もこの頃では過去の遺物だったかも知れません。

その右側に、天明 の年号が記されていますが、当社の社名由来とは
あまり関係ないと昔祖父(当社前会長)から聞きました。

飢饉もあったし、あまりいい時代ではなかったような。

今日は非常にローカルな話になってしまいました。
でも地名はあまり現代の浅知恵でころころ変えるものではないですよね。
往時の人々の歴史を抹消するに等しい。
  


Posted by 株式会社 人形の天明館  at 00:13Comments(0)五月人形

松屋町は具足町

2012年03月09日

江戸時代の古い大阪の地図を見たことがあります。
松屋町一帯はその昔、具足町と表示されていました。

その頃から節句人形を販売していたとは思えません。
なのに、具足町。

甲冑の製作、補修を生業にしていた人たちの集団がいたのかもしれません。

数百年の時をへて今、鎧、兜を商いしている。
何か因縁めいたものを感じます。  » 「松屋町は具足町」の続きを読む


Posted by 株式会社 人形の天明館  at 23:56Comments(0)五月人形

夜、一人でトイレ行かれへん・・・。

2012年03月08日

最近、世の中が優しくなっています。
僕が夢中になっていた仮面ライダー1号、2号の頃(年代バレバレ)は
単純明快でした。
正義は正義、悪者は悪者。
ライダーが「ええもん」でショッカーは「悪魔の軍団」で「わるもん」。

水戸黄門に代表されるような「勧善懲悪」でなく、
「悪いことをした側にもそれなりの事情があったはずだ」という声も。

ともすれば、被害者より加害者の方が社会的に保護されているのではないか、
と疑念を抱かざるをえないこともままあります。


さて、五月人形、特に鎧をご覧になられたお客様からは
「勇ましい」
「かっこいい」
「美しい」
と我々にとっては嬉しい評価だけでなく、

「こわい」
「こんなんウチにあったらオレ夜トイレに一人で行かれへんわ」
という声もお聞きします。

ヒゲも生えてるし、 アゴもとがってるし、 ツノも生えてるし、 クワーッ、って顔してるし、
何か睨みつけてるし・・・・。

そうです。鎧は見た目は怖いものなのです。
実際の武具であった甲冑は、戦場ではハッタリでもよいから自分を強く見せる必要があったことでしょう。
ましてや、存在意義が魔除け、厄除けである彼らお節句の鎧、兜たちにとっては、
お子さんたちに振りかかろうとする災いや厄を睨みつけ退散させる、
そんなパワーがなくてはなりません。

それでも、
子供が見たら泣きだしそう、そう思われる親御さんもいらっしゃるでしょう。
ウチの四歳の息子は張子の虎を見せると逃げ出します。

最初の頃はそうかもしれませんね。
でも、鎧を見ても泣かないようになったらシメたものです
ひょっとしたら、五月人形との対面は、
お子さんにとって、初めて勇気を出さなければいけない時、なのかも。

男の子の節句物なんてものは、怖くなければ意味がない、僕はそう思っています。


古いTVドラマの話ばかりで恐縮ですが、
「独眼竜政宗」で、幼少の伊達政宗(藤間良太 日本舞踊家 現 藤間勘十郎)が
大滝秀治演ずる虎哉禅師から不動明王が何たるかを説かれ、
「梵天丸もかくありたい」
とつぶやいたシーンを思い出しました。


  


Posted by 株式会社 人形の天明館  at 23:42Comments(0)五月人形

大きい真鯉はお父さん

2012年03月07日

前々回「四神」について述べました。
それぞれ色と関連していることもお伝えしました。
その4色のほかに自分のいるところ、中央に大地を表す黄が存在します。

この五色も陰陽五行に由来しますが、
鯉のぼりの吹流しにも魔除けとして使われています。

鯉のぼりは男の子が誕生したことを天の神様に知らせるもの、
という説があります。
登龍門の鯉になぞらえたボクが化け物などに食われてしまわないように、と。
その化け物は矢にも弱いらしく、だから矢車を乗せるのだ、と。




昨今ではデザイン性が重視され、色、柄共に様々な吹流しが増えています。
ご家紋やお名前を入れることも珍しくありません。

最近では吹流し、黒、赤、青の四旒(旗や幟は「りゅう」と数えます)を掲げるのが定着していますが、
昔は真鯉(黒)だけだったといいます。
それが、あたかも家族のように緋鯉や青が加わり、
商品によっては緑やオレンジは当然のように設定され(但し量販店向けの商品には設定のないものが多い)、
更には紫やピンク、茶色まで用意されているものもあります。

実際、弟や妹が生まれたから、と単品を追加でご購入される方もいらっしゃいます。
当然ご用意いたします。

難しい話はさておき、カラフルな鯉のぼりが空に泳ぐ姿は美しいですね。
歌にも 大きい真鯉はお父さん、小さい緋鯉は子供たち・・・・。

ここで一つ疑問が。
家族になぞらえるならば、お父さん、お母さんとあって、
主役のボクは一番下で一番小さくなってしまう。
何かかわいそうな。

そこでこんな解釈はいかがでしょう。
真鯉はあくまでボク、将来の姿。
赤は将来のお嫁さん。
青以下はそのお子さんたちで、子孫繁栄を願う。


店頭では延べにして百旒以上の鯉を展示し、素材や織り方の違いなど
実際に手にとってご覧頂けます。

鯉の種類は日本一!を勝手に自負しています。

ご来店、お問合せ等お待ち申し上げております。

お問合せ 06-6761-3877  専務 丹生(にう)迄。

勉強しまっせ!!
  


Posted by 株式会社 人形の天明館  at 23:25Comments(0)鯉のぼり

青葉の笛

2012年03月06日

これから書くことは人形選びとはあまり関係がありません。

この時期になると「平家物語」を読み返したくなります。
店内で流している唱歌や童謡にまじり、
「青葉の笛」を耳にすることも多くなりました。
滅びゆく平家の公達を題材にした歌で

一番は 敦盛。
熊谷直実に討たれる年若の敦盛。
直実にしてみれば我が子と同い年くらいの敵を討たねばならない躊躇。
その慙愧。
須磨の平家の陣から聞こえてきていた笛の音の主はこの少年だったのか。

二番は 忠度(ただのり)。

都落ちに際し、歌の師に自らの詠んだ歌集を託す。
討たれる間際まで身に付けていた箙(えびら 矢の入れ物)に結わえた一葉の短冊。

行き暮れて 木の下陰を宿とせば 花や今宵の 主ならまし

お祝いとは全く逆のかなりネガティブな話になってしまいました。

小林秀雄は、平家物語は快活さ、明るさがある、みたいなことを書いていたけど、
やっぱり根底にあるのは無常観かな。
散りゆく桜を潔しと愛でる日本人の美学、美意識に通じるものではあるけど。

節句人形を扱っているからこそか、
こんなことをふと思い出してしまいます。

  


Posted by 株式会社 人形の天明館  at 23:47Comments(0)五月人形

龍と虎!

2012年03月06日

「青春」という言葉はよく知られています。
春が青いならば、夏は?、秋は?、冬は?

人の一生と季節をリンクさせて捉えたのでしょうか。
それぞれ
人生真っ盛り、熱いぜ、燃えるような「朱夏」、
少し落ち着いたのか、いや実りの多い涼しげな「白秋」、
生の終焉をひかえ、達観したかのような「玄冬」。

身近では一日の移ろいもよく似ています。
朝、から陽が昇る。
昼、太陽が一番高いところに南中する。
夕、やがて西の空に陽は沈み、
夜、深い闇に包まれる。

一日の動き、季節の巡り、人の一生と方角を関連付け、
「四神」が想像されました。
東に青龍、南に朱雀、西に白虎、北に玄武。

整理すると
春 → 夏 → 秋 → 冬
東 → 南 → 西 → 北
龍 → 雀 → 虎 → (玄)武
青 → 朱 → 白 → 玄(黒)

大阪の東、東大阪には「ホテルセイリュウ」があり、
会津には「白虎隊」がいましたし、
「北原白秋」という詩人もいました。

大相撲春場所ももうすぐですが、土俵の天蓋の四隅には
この四色の房が下げられています。

案外なじみ深いものとわかります。

これも余談ですが、
日本語の色を表す形容詞は、実は元々この四色しかありません。
あおい、あかい、しろい、くろい。
他の色は全て〇〇色い、という使い方をします。
例えば、きいろい、ちゃいろい、など。
緑色は青の範疇です。青々とした若葉、などと。
青信号の色は何色をしていますか?



五月人形の屏風などにも龍と虎の構図がよく用いられています。
単に雄壮だからでなく、
ここにも魔除けの意味合いがあります。

東の龍と西の虎がにらみ合っている。
わかりやすく言えば、強いヤツ二人がガンの飛ばしあいをしている、
その間には誰も怖くて入っていけない、そんな状態。





龍虎のコンビの他方、玄武と朱雀。
玄武も想像上の存在で、亀の上に蛇が乗っています。
いつしか玄武は亀に、孔雀は鶴に置き換えられ、鶴亀として
こちらもおめでたいものとして捉えられています。



  


Posted by 株式会社 人形の天明館  at 22:46Comments(0)五月人形

龍!

2012年03月05日

二枚の画像の兜を見比べてください。
違いがお分かりでしょうか?








一方には龍の飾り(前立物)があり、鍬形も細く長い形をしています。
他方は龍がなく、太く短い鍬形が据えられています。

10年ほど前までは前者の長鍬形のものが圧倒的多数を占めていました。
大鍬形のものもありましたが、人気があったのは龍の付いた兜でした。

それが最近、龍がないほうが
「シンプルでよい」、
「龍が嫌い」
というお客様が目立つようになりました。

実際、現存する12,3世紀頃の甲冑を調べてみても龍の付いた兜は殆ど見受けられません。
それどころか鍬形(実は鍬形も前立物の一種なのですが)すらないものも結構あります。

時代がもっと後になって戦国時代の頃の兜の前立はもっと個性豊かです。
蒲生氏郷の兜にはなまずが付いていましたし、
以前挙げた直江の「愛」の字、伊達政宗の「弦月」は有名です。
そうそう政宗の従兄弟成実(しげざね)は毛虫でした。
毛虫は後ろに動かない(実際は動けない)、敵に相対しても退かない勇気をあらわすもの、らしいです。
またまた余談ですが大河ドラマ「独眼竜政宗(主演は渡辺謙)」で成実を演じていたのは三浦友和でした。

龍のついた兜は源氏八領のうちの一つ「八龍」が、文献から推察するに
そうだったのではないかな、というぐらいです。
ちなみに源氏の武者が所用したと伝えられる源氏八領
は一つを残し全て消失しています。
この話についてはまた後日。

それだけ稀有なものであるのに、
節句の鎧兜には当たり前のように付いていました

登龍門を登りきった鯉だけが「龍」に化身、出世できる、「登龍門伝説」は
中国由来のものですが、 龍は出世の象徴 なのでしょう。
願わくば、無事の育成、更には立身出世。
いつの時代も親御さんの思いは同じだと思います。
故に、男の子のお節句飾りのメインである兜には龍を戴き、
屋外には鯉のぼりを高々と掲げる、ようになったのではないかと解釈しています。

ちなみに(が多いですが)姿、かたちはよく似ていますが、
西洋ギリシャ神話に端を発するドラゴンと 東洋の龍は似て非なるもの、全然違います。
前者は化け物、モンスターですが、
龍は「龍神」、神様であり、中国では皇帝の印でもありました。

「わし中日嫌いやねん」はナシでよろしく。




















  


Posted by 株式会社 人形の天明館  at 23:19Comments(0)五月人形

どんなヨロイがいいのかなあ? その3

2012年03月04日

前回、鎧を構成する部分の名称はお洒落なものが多い、
と述べました。
今日もその続きです。


丁度胸から脇のあたりにかけて左右形の違う板がぶら下がっているのが
お分かり頂けるでしょうか。




左側(向かって右)には白い絵革(えがわ)を貼った盾のような板があります。
この板は弓を構えた時に脇を防御する板で、
鳩のしっぽのような形から「鳩尾(きゅうび)の板」といいます。
盾ですから形が変わらないよう一枚板で構成されています。


右側(向かって左)は、三段の黒い板を赤い紐で綴じ合わせているのが
お分かり頂けると思います。
右手は弓弦を引く手で、動きも大きい為、
脇を防御しつつも腕の動きを邪魔しないよう
「融通が利」かねばなりません。故に可動するように
板を紐でつなぐという工夫がなされました。
「三段の板」が転訛して「栴檀(せんだん)の板」といわれるようになりました。

ということになっています。
今述べたことはちょっとネットを調べればたどり着く話なのですが、
京都の鎧職人でもう亡くなられた先代の「一水」さん、今村勝男氏から
以下のような話を聞いたことがあります。

栴檀は双葉より香ばし、栴檀はよい芳香を放つ。
武者は出陣に際し、この三段の板の付け根部分に栴檀の香木を挿しはさんだ。
鎧を着て出て行くときは、即ち死ぬかもしれない覚悟を固めていく。
戦いに敗れ屍になった時、自らの腐臭を少しでも和らげるのが目的である。
総じて大鎧は当時の武者の美意識の象徴である、と。


この話を伺ったのはもう15年ほど前のことですが、
商品知識云々は別にして、衝撃的に感動しました。
ダンディズムはかくあるべし、と思いました。
大鎧は最高の装いであったのです。
  


Posted by 株式会社 人形の天明館  at 22:26Comments(0)五月人形

どんなヨロイがいいのかなあ? その2

2012年03月03日

今日は土曜日。
3月に入って初めての週末。
お店には五月人形や鯉のぼりを見にお客様がいらっしゃいました。
まだ皆さん下見というか、様子を眺めてられる方が多いようです。

折角のお祝いのお品ですから、偶数月の4月に入るまでに、
出来れば3月中に納めるのがよいでしょう。

日本人は割り切れる偶数よりも奇数を吉としてきました。
お節句も 正月、上巳(3月)、端午(五月)、七夕(7月)、重陽(ちょうよう 9月)
と奇数月に存在します。

前回取り上げた「大鎧(おおよろい)」。伊達に「大」の字を付けているのではありません。
この「大」は、大きいという意味よりもむしろ「正式な」という
意味合いのほうが強いと思われます。

時代的には丁度大河ドラマ「平清盛」の頃、
平安時代から鎌倉時代後期、南北朝時代の頃。
戦いが集団対集団になる前段階、
「一騎打ち」で雌雄を決していた頃。
飛び道具の「鉄砲」が存在せず、「弓矢」が主な武器であった時代。
太刀は切りあう為のものでなく、「首を掻く」のが主用途でした。

別のいいかたをすれば敵の放つ矢から身を守るに都合よく、
自らが馬上から矢を射るのに都合よく作られたものでした。

両方の肩の部分を防御する板のようなものは「大袖(おおそで)」といい、
盾のようなものです。

ちなみに鎧の各部分の名称はお洒落なものが多く、
例えば、単純に右や左とは言いません。
画像で示したのは左肩を防御するものですが、
左手は弓を持つほうの手であることから「弓手の袖(ゆんでのそで)」といいます。
対して右手は馬の手綱を持つからでしょうか「馬手(めて)の袖」といいます。



一方腰から下、太ももにかけてを防御する部分を「草摺(くさずり)」と呼びます。
この頃のものは主に前後左右4間(けん、と数えます)から構成されていました。
現代では考えられないほど草ぼうぼうだったのでしょうか。
草摺については左側を矢を射る方向に向ける側であるため、「射向(いむけ)の草摺」
といいます。

前は「正面の草摺」、
後ろは座るときに敷くようになるからでしょう、「居敷(いしき)の草摺」といいます。



話が少し脱線しました。
ではまた後日。



  


Posted by 株式会社 人形の天明館  at 22:52Comments(0)五月人形

どんなヨロイがいいのかなあ?

2012年03月03日

先ほど投稿した記事を読み返しますと、
「何や、まだ半分だけかい!」
とお叱りを受けそうな内容だったので再投稿です。
当社は松屋町筋に4店舗展開しておりまして、
本店はもう既に五月人形、鯉のぼり全開バリバリの状態です。

さて、五月人形どんなのにしよう、と思案をめぐらせている方もいらっしゃるのでは?

お客様から
「伊達のカブトある?」
「直江の愛のヤツ欲しいねん」

などとよく問いかけられます。

ウチも商売ですから、売れそうなものは揃えておきます。

ちなみに
伊達の兜とは、兜のおでこのところに細長い三日月形の飾りのついているもの、
伊達政宗所用とされているものをいいます。

直江については一昨年でしたか、NHK大河ドラマ「天地人」の
直江兼続の 「愛」の飾り物のついた兜をいいます。

専門用語では前に付いている飾り物だから「前立物(まえたてもの)」といいます。

以下は僕の私見です。お気を悪くされたらごめんなさい。

「欲しい!」とおっしゃる方に「やめとけ」とはいいませんが、
ほんとにそれでいいのかな、と疑問も持っています。
お節句で飾る兜は、飽くまで「そのお子さんの物」
それが
誰々の兜、でいいのかな、
誰のものでもない、普遍的な物
の方がいいことないかな、とずっと思ってきました。
上に挙げた二人の武将に対し、悪意はありません。
あくまで例として。

戦国武将で成功したのは「徳川家康」ただ一人です。
大多数は志半ばで斃れたり、「〇〇の覇者」などと修辞されはしますが、
所詮No.2までの存在でしかなかったり。

お子さんの未来はまだ真っ白です。

僕自身が好きな甲冑があります。
奈良の春日大社に所蔵されており、国宝の指定も受けている
「竹虎雀金物の大鎧」なのですが、






強いて言えば「春日大社の神さんの物」。
春日大社は藤原氏の氏神さんですから、まあこれも好みは分かれるでしょうか。

京都の職人さんが作っている甲冑も誰々の兜というのはあまり聞かないですね。
作り手として節句のお飾り、という大前提を弁えているからではないでしょうか。













  


Posted by 株式会社 人形の天明館  at 00:42Comments(0)五月人形

五月人形が出揃いました。

2012年03月02日

今日は3月2日
おひなまつりの前の晩を「宵節句」といいます。

実は当社の会長(私、筆者の父親で創業者)は3月3日が
誕生日で、ささやかながら私たち兄弟とそれぞれの連れ合い、孫みんなが集まって、一日早く誕生日と宵節句のお祝いをするのがここ数年の行事になりました。
まだ未就学の甥や姪の歌うおひなさまの歌は聞いていてほのぼのします。


さて、週末を目前に控え、店内は半分はひな人形、
もう半分は五月人形に衣替えが整いました。来週末には全部が五月人形に入れ替わります。


皆様のご来店をお待ち申し上げております。





  

Posted by 株式会社 人形の天明館  at 22:52Comments(0)五月人形

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TEL 06-6761-3877
FAX 06-6768-6632
■営業時間
・平日 10:00 ~18:00
・金、土、日  ~18:30
ですが、お客様のいらっしゃる間が営業時間です。
■休業日
お節句商戦の過ぎた5月の土日だけは休ませて下さい。
その他年末年始を除きほぼ無休です。
皆様のご来店をお待ち申し上げております。
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